現地三日目、
村の一つでの討論会を拝見することができました。
受益者と家族が集まって、経験を話し合うものです。
公民館のようなものは無さそうで、受益者の一人の家族が場所を提供してくれました。
写真のように、庭先をお借りし、ブルーシートを広げて車座になります。
プロジェクトの車で迎えに来てもらった家族もあれば、自力で集まった家族もいました。
少しでも受理機で集まるようになれば、今後他の活動に広がった時に続けられるのですけどね。
今回集まったのは、肢体か知的の障害のある受益者と家族です。
改善されたことを聞くと、やはり貧しい人が多く、生活改善直結なコメントが多く出ました。
きのこ栽培の収入が無ければ、一月食べ物の目途が立たなかったのでありがたかった、とか。
困ることは、やはりまず労働力。
家族で協力して生産活動をするのですが、キーとなる人の体調がすぐれない事例が複数出てきました。
養殖で餌やりがちょっとできなかったらナマズが共食いしてしまった、などという事例も。
労働力不足の解消には、やはり受益者間で協力する、という意見が出てきました。
順番を決めて、例えば今日はAさん宅、明日はBさん宅、というようにみんなで回って作業をするイメージで、以前も実施していたようです。
他のグループでは、当初より少し近場に資材の調達先を見つけ、グループ討議で共有した事例もあるそうです。
三人寄れば文殊の知恵、ですよ!
ブルーシートがすっかり日向になってしまい、お昼も近いことから、三々五々皆さん帰途に着きました。
午後は、討論会に集まった受益者のお宅を戸別訪問。
庭に、きのこ栽培・資材保管用の小屋を建てた人が随分いました。
家より新しく建てているので、家よりきれいな小屋もありました。
養殖用の池はコンクリート固めで、プロジェクトで支援していました。
村の中では立派な家もあれば、高床式の一部屋とトイレくらい?と思われる家もありました。
お邪魔したらご家族の体調が芳しくなく…という訪問先もありました。
どこに行っても、鶏やアヒルが床下を歩き回り、子犬や子猫が足元を横切る、にぎやかな家ばかりでした。
視覚障碍者の私にとっては、何処に行ってもとにかく足元が不安定で、歩くのに非常に苦労しました。
介助の方無しには一歩も進めません。
農村部の困難に就いては言葉でよく聞いていたけれど、実際にお邪魔して身をもって体感しました。
市場に作物を持って行くのも一つや二つの苦労ではないでしょう。
でも、実際、世界各地のこうした農村部に障害のある人も大勢暮らしているのですから、少しでも暮らしやすく、そして地域社会の一員となっていけるよう、私たちも考えていくのだと思います。
視覚障害の受益者が帰り道の近くに住んでいると聞き、それはどうしてもお会いしたいと、ちょっと無理をお願いしました。
比較的大きな家で、経営手腕を発揮しているマネージャーの女性がまず現れました。
その後、ご家族と思われる人に後ろから支えられながら出てきた女性。
思い切って色々質問してみました。
先天の全盲で、既に大きくなった娘がいる世代ですので、残念ながら、当然教育は受けていません。
きのこ栽培には、積極的に取り組んでいただいているそうです。
多分、今から点字やパソコンの研修は難しいでしょう。
そこで、日常生活に関する質問をしてみました。
日常生活訓練をしたら生活改善につながらないか…と思ったのです。
料理はされますか?
―ご飯を炊くのと焼き物はできます。
火は危なくないですか?
―炭でおこすのは音が無いから難しいけれど、薪からなら起こせます。
他の家事はいかがですか?
―後は、食後の洗い物と洗濯。
訓練を受けていない筈ですが、とてもスキルの高い方でした。
ちょっと歩行のことも。
白杖に触れてもらって、これを使って歩いている、と話したところ
―私は使う機会がありませんでした。
居住部分と作業部分の間の壁に紐でも渡せば歩きやすくなるのではないでしょうか?
と考えましたが、既に一度提案されているようでした。
話をQOLに変えてみました。
ラジオは聞きますか?
―歌を聴くのが大好きです!
謳う方は如何ですか?
―歌うのも好きですよ。
ちょっと歌っていただけませんか?
―どうしよう、歌詞を全部覚えていないので…
と言いつつ、一生懸命に歌詞をを思い出してくださったようで、そのうち1曲フルに歌声を披露してくれました。
普段は女性が電話を掛けても出てくれないのに、酔った時だけ愛しいと電話を掛けてくる男性を謳った、切ないような愉快なような曲。
プロジェクト関係者みんなで丸く囲んで手拍子をしていると、近所の人たちも、何が起こっている?と集まってきます。
歌が終わってみんなから大きな拍手を受け、女性は嬉しそうに、でも照れていました。
不便なことは多いでしょうが、穏やかに幸せに暮らしておられるのかなぁと。
視覚障害のことで困ったことがあれば、AARを通じて私にでも関係者にでもお知らせください…
と言って車に乗りました。
中々同じ視覚障害のある人に会うチャンスが無いのでは?
私が出向いて、何か気持ちが軽くなったりしないかなぁ…
とても深い印象を残した30分でした。
現地二日目。
プロジェクトに関わる人たちと、エンパワメントに就いて考えたり、2つの県で実施しているプロジェクトの成果と課題を振り返ったり、今後に向けたアイデアを出し合ったりするディスカッションを開催しました。
場所は、サヤブリ郡中心地にある役所の一室を借りたラオス障害者協会(LDPA)の会議室。
直前に開催された国際障害者デーのイベントの跡が残る部屋でした。
実は、WBUの話を人前でするのは多少の経験がありますが、障害一般の概念を人前で語る機会はこれまで余りなく…
更に、参加者の経験や知識がどういうものか肌感覚で分かっていなかったので、ずっと手探りの5時間でした。
参加者の皆さんも、私との距離感がちょっと難しかったのではないかと心配です。
今振り返っても、どうだったのか、どうすればよかったのか…
個々の人たちの情報を、もっと私の方から伺った方が良かったのではないか、ということは、ありかと思います。
教訓。
何となく私自身の話をした後、障害のある人にとってのエンパワメント、という文脈の中で、参加者が経験を共有してくれました。
周囲の期待値の低さが続々…
兄弟で唯一、学校に行く必要なしと言われた男性が一言。
―学校で頑張れ、と言って欲しかったー
あぁ、そうですよね。
私個人としても、勉強に就いては厳しく言われてきましたが、就職先での期待値の低さには何度も苦労しています。
悔しい経験を思い出し、不覚にも涙ぐんでしまいました。
ちなみにこの男性、期待値の低さを跳ね返して勉学に励み、IT関連の知見まで習得しています。
障害のある人とエンパワメントのモデルケースのような方でした。
プロジェクトの振り返りでは、外に出るようになった障碍者、家族の生活改善に寄与した障害者の話が色々出てきました。
他方、助力を担う家族の体調に問題があり労働力不足に悩む受益者、遠隔地なため資材の搬入に苦慮する受益者の姿も出てきました。
きのこ栽培には木くずなどの資材が必要ですし、養殖では相応の量の水が必要になるからです。
解決策は?と最後にプロジェクト推進に一番大切なものを尋ねると、何人かが、小さい組合を作って協力体制を築く、というアイデアを出してくれました。
このプロジェクトではいまだ次女グループ組成にいたっていませんが、いずれ、みんなの協力で生産活動を補完しあったり、そのうち地域のお祭りにみんなで参加したりできたらいいなぁと、現場を沢山見る前から妄想しております。
私としては初めて、AARJapan(難民を助ける会)がラオスで実施している障害者支援のプロジェクトの現場にお邪魔する機会をいただきました。
農村部で、なまずや食用蛙の養殖、きのこ栽培を実施し、収入を得ると同時に、地域社会への参加を進めようというものです。
現地での初日、サヤブリ県に車で5時間掛けて移動。
きれいに舗装されている道もあれば、工事現場のように物凄い埃で目の前が何も見えなくなる(私はこれをブラウンアウトと名付けました)ような道もあり、山道をくねくね登ったり下りたりする道もあり。
周囲は、街並みだったり、稲刈りが終わった茶色い田んぼだったり、遠くに山を見ながら続く森林だったり、ブラウンアウトの砂埃に茶褐色になった木々だったり。
中々バラエティ豊かな道中でした。
行きも帰りも立ち寄った食堂の汁麺もラープもとにかく美味で、最初から最後までカロリー摂取過多リスク大でした。
移動日に一人、聴覚障害の受益者を訪問しました。
界隈では比較的大きな家に住み、事業で得た現金も随分、大好きな服の購入に充てたそうです。
服の話をすると、心から満足そうでした。
着ている服以外にも、カラフルな服が何着も洗濯して干してありました。
好きなものに、自分で稼いだお金がつぎ込めるのは、確かにうれしいものです。
自分で買えるって、買ってもらうのとは全然違いますから。
ただ、得られた現金をすべて使ってしまっては、事業が1回で終わってしまうというのも、頭の痛いところ。
そして、ちょっと心配…
日本にいる我々だって、働いて得た収入すべてを好きなものに費やしてしまっては、暮らしが成り立たないわけで。
彼女に限らず、金銭管理の問題が度々上がりました。
学校に行っていないと足し算も引き算も厳しいのです。
彼女にはプロジェクトを通じてお友だちができて、お友だちと一緒に事業を続けると話してくれました。
というか、隣に座っていたお姉さんが教えてくれました。
よろしくお願いしますよ…と祈るような気持ちで家を後に。
タイの視覚障碍者の就業率、およそ20%まできています。
地方で簡単なマッサージの指導などを試み、ここ20年くらいで随分向上しました。
流石は強力なTAB、他の途上国の一歩先を歩んでいます。
それでも、5人に1人しか仕事をすることができていません。
バンコク市内に住んでいる人たちには、それでも色々な機会があります。
けれど、地方に行くと中々…
また、何処の国でもそうですが、かなり年齢が上がって失明した人たちに、点字や高度なIT技術といっても、決してハードルは低くありません。
タイ盲人協会では、他の活動と併せ、地方に住む、特に中途の視覚障碍者に、農業支援を展開しています。
視覚障碍者の家族が農地を所有していても、視覚に障害があっては農業は無理と家族が諦め、土地が視覚障碍者に相続されないことが頻繁にあるそうです。
家族の意識改革が、視覚障碍者の農地所有に直結することになるわけです。
無理と思われては技術移転もままなりません。
そこで、技術支援を実施するとともに、家族や近隣の人たちへの啓発を進めています。
目指すは4段階。
・まずは自分たちが食べるための野菜を栽培
・余剰作物を地域のマーケットに
・地域を超えたマーケットへの参入を目指す
・最後は加工食品の材料となるように
既に第2段階に来ているパイロット事業が、東北地方に200件ほどあるそうです。
半数以上は今後も順調な発展が見込めるとか。
また、盲人協会ブランドのバナナチップが既に生産されています。
とてもおいしいですよ。
これからは、農業省との連携も模索していく希望を持っています。
権利モデルの追求が強固なうえに、起業家意識の高いリーダーたちが、視覚障碍者と農産物の関係も変えようとしています。