タイ盲人協会が主催するASEAN視覚障碍者フォーラム、今年で5回目になります。
ASEAN各国から2名まで、タイが資金集めをして旅費と滞在費をスポンサーします。
ASEANという、アジア太平洋では比較的コンパクトに纏まっているサブリージョンだから、実施しやすい面はありますが、タイの国際貢献への熱意が現れているとも言えます。
今年のテーマの一つはマラケシュ条約。
今年は私も参加し、日本でも障害当事者団体がマラケシュ条約批准に動き出した話をしました。
私が最初にWBUAP関連イベントに出たのが2003年。
シンガポールが中期総会を開いた時です。
当時は余り、というか、全く分からなかったのですが、実はシンガポールの知的所有権関連の責任者が列席していたそうです。
そして、視覚障碍者の情報アクセスで支援できることがあれば、と約束してくれました。
時は流れ、今はマラケシュ条約に向けて視覚障害コミュニティが各国で動いている昨今。
ASEANで最初にこの条約を批准したのは、上記のシンガポールです。
国際会議に自国の関係者に列席して貰い、その後の動きに繋がった良い異例と、今回のフォーラムに参加していたシンガポールのチェンホックさんが誇らしげに語っていました。
ASEANで次に続くのはタイの筈。
国会議員のモンティアンさんが、新たな前向きな動きを紹介していたので、時間の問題です。
他の国は、中々容易ではありません。
インドネシアがそこそこ乗り気なようですが、言葉が近いマレーシアは今一歩。
カンボジアもまだまだ。
ブルネイには著作権の政策自体が未整備の部分が多いとか。
そして、ベトナムは、「予定なし」だそうです。
ラオスの言葉はタイの東北地方の言葉に似ているので、タイ語を聞いてもラオスの人は理解できます。
タイが批准したら、ラオスの批准のメリットは大きい筈。
でも、ここも、まだまだです。
WBUAPとUNDPアジア太平洋のパートナーシップで、ラオスとインドネシアでの働きかけの可能性を探っています。

タイの国民から深く敬愛されていたプーミポン国王が逝去されて半年以上が過ぎました。
現在でも、喪中ということで、タイ盲人協会のイベントでも、黒い服を身に着けたタイ人参加者が大勢います。
プーミポン国王は、若い頃、事故で片目が義眼だったそうです。
なので、視覚障碍者への支援には大変に強い思いをお持ちでした。
サクソフォンを演奏するので有名ですが、視覚障碍者に国王自ら演奏の手解きをしていたそうです。
タイ盲人協会には、From Street To Starという、障碍者開発局のような省庁との協働プロジェクトがあります。
以前、タイの視覚障碍者が大勢、街中でストリートミュージシャンとして演奏し、細やかな収入を得ていました。
が、これは本来の姿ではない、とプーミポン国王。
そこで、こうした隠れた音楽の才能を目抜き通りに送り込むべく、プロになるための音楽指導ワークショップを開催するようになりました。
それも、バンコク市内だけではなく、地方部でも実施しています。
YouTubeに宣伝動画がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=CHrRhoU7RZo
プーミポン国王は、笑顔と日々の闘いをテーマとした、とてもキャッチーな歌を作り、視覚障害コミュニティに贈っています。
そこからインスピレーションを受けた視覚障碍者が、風をモチーフに美しい曲を作りました。
二つとも、From Street To Starの皆さんの大切なレパートリーです。
タイの視覚障碍者の心の中に、敬愛する国王と素敵な歌が、これからも生き続けることでしょう。
昨年8月、フロリダ州で開催されたWBU総会で第2副会長に選ばれたタンザニアのエリさん。
3月末、急逝されたと聞き、WBU中で悲しいニュースに衝撃を受けています。
エリさんは、アフリカの女性でWBU本部理事になったのが、まだほんの二人目でした。
対抗馬を抑えて選ばれた時、アフリカの皆さんの大きな期待が会場を包んでいたのを覚えています。
タンザニア出身のエリさんは、WBU本部役員だけではなく、何と、母国で国会議員をしていました。
ジェンダーの問題に関心が強く、WBUでの女性に関する大きな仕事も進んで引っ張って行こうとしていました。
特殊教育の修士号、ジェンダーと障害と人権に関する分野で博士号を取得。
若い頃から視覚障害運動に熱心に取り組み、タンザニアの盲ろう者協会設立にも尽力しました。
アフリカ地域協議会であるアフリカ盲人連合でも執行委員、東アフリカの障碍者運動全般に多大な貢献をし、アフリカで権利条約実現に向けたアドボカシーの強力な牽引者でした。
実はJICAのプログラムで短期ですが来日したこともあるようです。
11月にボルティモアであったWBU本部理事会では、何時も隣に座り、冗談を言ったり一緒にコーヒーブレークに行ったりしました。
全米盲人連盟の本当に大きく複雑な研修所での会議だったので、エリさんが一度行方不明になり、何人かで探し回ったり。
みんなでピザのお店に行った時、エリさんと違うピザをたのんでシェアしたり。
短い時間ですが、とても楽しい思い出です。
写真は、フロリダでの総会直後の懇親会で、エリさんと二人で撮ったものです。
二人とも少し酔っているかな。
あの暖かく明るい笑顔に会えないと思うと、この文章を書きながら涙が出てしまいますが、エリさんのことを皆さんに知ってもらおうと、敢えて写真も一緒にご紹介することにしました。
謹んでご冥福をお祈りしています。
少し前になりますが、2月27日と28日は、アジア太平洋障害フォーラム(APDF)の総会でした。
WBU-APもAPDFに加盟して今年で10年になります。
写真は大会最後に撮影した集合写真です。
会場は、バンコクのアジア太平洋障害センター(APCD)。
日本とタイの政府が協働で立ち上げ、現在ではAPCD財団の管轄下です。
車いすも使えるツインの部屋が28名分、大きな会議室、ダイニング。
別棟には、ヤマザキパンの協力で立ち上がっているベーカリーと、タイ料理の大衆的なご飯が食べられるレストランというより食堂(但しタイ語のみ)
贅沢な設備ではありませんが、WI-FIは安定していました。
このヤマザキパンでは50名以上の障害のある人が就労し、この会議の後に参加したUNESCAPの建物の中にも出店しているそうです。
肝心の総会は、ちょっといつもより寂しい感じ。
というのも、直前に事務局で担当者が後退したのも影響し、参加者が今までになく少なかったのです。
特に地元タイからは支援NGO、Leonard Cheshire Disabilityの担当者のみという、ちょっと寂しい会議でした。
ちなみに、この担当者、スワンナプーム空港でタクシー乗車に苦労していた時、たまたま居合わせて助けてくれた人でした。
初日は一応、役員会ということで、当初から何もしていない役員になっていたので、ここから参加です。
余り委員会が機能できないのでもう遠慮したかったのですが、やむなく再任となりました。
お昼はAPCD食堂のお弁当。
お茶の時間には袋入りのケーキのようなものが3つ、オレンジジュースに缶コーヒー。
朝食が料金に含まれていなかったので、お茶の時間の飲食物を翌日の朝食にキープするという、中々質素な暮らしをしていました。
2日目には、香港・日本・マレーシアなどでのインチョン戦略の実施状況が報告されました。
特にマレーシアの障碍者計画がインチョン戦略をかなり繁栄しており、参加者から関心を集めていました。
参加者でステートメントの採択を試みたのですが、何を何処まで書くかもめてしまい、事務局預かりとなってしまいました。
ASEANや太平洋諸国のようにサブリージョンでフォーラムが活発な現状、APDFの果たすべき役割をもう少し確り見つめ直す必要を感じました。
それでも、韓国の視覚障害女性協会(KBWU)の知り合いが来ていて再会を喜んだり、韓国チームの通訳をしているタイ人の学生さんに驚いたり…
日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)がヨルダンで行っている障害のある難民支援のお話を伺いました。
http://jim-net.org/
ヨルダンはシリアに隣接しており、流入した難民は64万人と言われています。
そのうち、難民キャンプに残っているのが2割、残りは居住地域でアパートを借りてひっそり暮らしています。
キャンプには下水も電気も無く、トイレやシャワーの数が決定的に不足していることから、移動できる人はドンドンキャンプを後にしていきます。
シリアは確かに言論や情報に様々な制約がありますが、安定した部分もありました。
高校進学率は96%、子どもの医療費は無料。
お母さんがいてもお父さんが亡くなると「孤児」としての支援がありました。
それもみんな、内戦が始まる前ですが。
ヨルダンとは、民間人の負傷者の緊急医療サービスの取り決めのようなものがあり、カタールやデンマークの資金援助を受けた病院が、シリアからの負傷者を受け入れ治療しているそうです。
足の切断など、障害に関連する医療サービスもこの取り決めで多少は対応しています。
形成医療が不十分で、足を切断しても何度も手術を繰り返すことになってしまいます。
お話いただいたJIM-NETのUさんの知り合いには、1年で20回も手術を繰り返した人がいたとか。
難民キャンプやアパートから病院までの移動が大変です。
バリアフリーの交通手段など無いし、アパートもエレベーターなどありません。
JIM-NETでは、予約制で、こうした障害のある人たちの通院を支援すべく、バリアフリーの車両を1台購入し、一月70名くらいの通院をサポートしています。
エレベーターの無いアパートなのに、障害のある人はしばしば、高層階に暮らしています。
理由は簡単、安価だからです。
また、ヨルダンは比較的治安は悪くないのですが、それでも障害のある女性が一人で街を歩くのは文化的にも生活習慣としても容易ではありません。
そこで、JIM-NETとして、理学療法士による訪問リハを、こうした外に出るのが困難な人たち向けに実施しています。
ヨルダンの障碍者団体の力を借りて、障害のあるシリア難民女性のコミュニティ作りにも取り組んでいます。
当初は中々集まらなかったのですが、病院に案内を送ったり、様々な活動機関との情報交換を進めたり、色々工夫して、ヨルダン人とシリア人が一緒に編み物を習うお茶会がなんどか開かれました。
大半は肢体障害のある女性でしたが、ろう者も仲間を連れて参加したとか。
そして、出来上がった編み物の作品を、厳しい状況にある子供たちが暮らす施設に寄付したそうです。
他にも、フランスのNGOが障害のある人向けのイベントを企画したり、以前よりは随分と障害のある難民への意識が芽生えた印象を受けました。
もちろん、まだまだ不十分ですが、以前の難民の話では障害の話を余り聞く機会がありませんでしたよね。
こうした努力にも関わらず、やはり難民問題は大変なのに変わりありません。
大きな要因の一つは、同じところに長期滞在しない、本当のコミュニティが容易に作れない点のようです。
障害のある人でも、可能な場合は第三国への移住を考えますし、キャンプは転々とします。
内戦により新たに障害を持った人たちの不安。
内戦の前から障害のあった人たちの行き詰まり感。
やはり、当たり前ですが、一日も早く戦火に終止符が打たれることを願わずにはいられません。