11月21日から24日まで、香港のCyberportで開催されます、WBUAPの中期総会、いよいよ間近になってきました。
目下、準備作業に追われています。
プログラムをもう一度ご案内しますと・・・
21日午後:
青年フォーラムで、各国の若年層から出された提言のコンテストを行います。
同時に、女性フォーラムでは、香港の障害女性運動の話等が聴けます。
22日:
国連ESCAPのナンダさんが、インチョン戦略の話をします。
チベットで点字開発と視覚障害児教育に取り組む「国境無き点字」のザブリエさんも基調講演。
会議の部分では、WBUAPの今期これまでの活動報告や会計報告、各国からのカントリーレポートがあります。
また、権利条約のセミナーも開催されます。
23日
定款改定の審議の後、WBU第1副会長のフレッドさんが、視覚障害当事者団体の重要性に就いて講演。
その後、日本でもやっと話題になってきたマラケシュ条約のシンポジウム。
午後は、分科会で、1つはソーシャルビジネスに就いて、もう1つは私の司会でファンドレイジングに就いて。
ファンドレイジングの分科会には、オーストラリア最大の支援サービス機関、ビジョン・オーストラリアのファンド担当者、開発NGOのオックスファムの香港の担当者、そして日本から難民を助ける会の方に登壇頂きます。
24日:
午前中は、ITやアクセシビリティに関する全体会と分科会。
午後は、もう一度私の司会で、デンマークプロジェクトとアジア太平洋地域に就いて。
その後、ライオンズ・インターナショナルからのプレゼンテーション。
最後は、タイのモンティアンさんのリードで、香港ステートメントの採択になります。
全体会と分科会は、全て、ネットでストリーミング配信を予定しています。
全て英語ではありますが、宜しければ雰囲気だけでも聞いてみては如何でしょう?
http://www.wbuapga2014.org/en_index.php
期間中は、昼食もビジネスミーティングを予定しています。
21日は、マラケシュ条約の域内キャンペーンを一緒にしてくれるかも知れない、国連開発計画(UNDP)アジア太平洋事務所の方と
22日は、インチョン戦略の話を頂く国連ESCAPの方と
23日は、東南アジアでのコラボ強化を目指して、難民を助ける会・デンマーク盲人協会・WBUAPの顔合わせ
24日は、スポンサー頂くIT関係の皆さんと。
尚、田畑は、中期総会のあと、WBU本部のオフィサー会議も香港で引き続き開催することになり、更にデンマーク政府資金プロジェクトのワークショップも同時開催されることから、中期総会の倍の期間、香港に留まります。
日本に様々なお話を持ち帰ることが出来るのを楽しみにしております。
北京で開催されておりましたアジア太平洋経済協力会議(APEC)は、経済開発が中心の国際枠組みです。
私も、出入国手続が簡素化するAPEC Business Cardくらいしか、実生活では接点がありません。
でも、実は下部には「持続可能性に関する委員会」など、社会問題に近い分野も取り扱っています。
北京でAPECが開催された今年、中国障害者連合会(CDPF)が主導で、初めて、障害分野の取組を促す会議が開催されました。
インクルーシブな経済発展と障害のある人の権利を目指すのが最終目的です。
私は香港のWBUAP中期総会が近く、日程的に厳しかったので、時間に余裕があり大変便りにもなる、北米カリブ地域協議会会長のチャールズさんに、WBUを代表して出席頂きました。
何しろ、広い意味でのアジア太平洋ですから、WBUの中では、米国やカナダのある北米カリブ、メキシコや中米やペルーやチリなどがあるラテンアメリカも関係しています。
なので、3つの地域協議会で、提出予定の宣言素案に就いて一緒に吟味しました。
今のところ、任意の、Group of Friends on Disability Issues、つまり、障害問題に関する「友だちの輪」みたいに、かなり緩い構想なのですが、これは恐らく、CDPFが考えて、まずは開催自体の同意を得るために、敢えて緩い形にしているのかも知れません。
勿論、WBUからは、任意ではなく正式な会議にして欲しい、と要望を出しましたし、きっと、他の障害者団体も同意見でしょう。
この集まりで障害分野のどのようなことに取り組んでもらうか、素案では次のような内容が挙がっていました。
1.障害のある人の権利を擁護し域内の経済開発に平等なアクセスを保障することにより、域内の経済発展や自由貿易推進の際に障害のある人たちに特に着目する。こうした施策で、障害のある人など社会の弱い立場の人たちの社会参加を推進し、経済社会開発の恩恵が行き届き、自立した尊厳のある生活を送ることが出来るよう促す必要がある。
2.障害のある人は弱い立場にある労働者であり、経済発展に貢献するセ金能力を有していることを認識する
3.(障害のある人に)有益な条件やインクルーシブな社会環境を創ることで、障害のある日との平等を実現し域内の経済発展に彼ら独自の役割が担えるようにする
4.障害のある人が経済活動に参加するための能力を強化する施策の推進により、障害のある人の教育・職業訓練の機会を拡大させる
5.域内の政府と障害者団体の協力を強化し、障害のある人のための良い雇用環境を産み、雇用率自体を挙げる
6.サービズ産業での障害のある人のニーズに関する潜在性に着目する、例えば支援技術の分野で多国間での調査研究を推進し、多国間の流通の簡素化、関税等の条件緩和等にも積極的に取り組む
7.リハビリテーションのような経済成長が見込める分野を重視し、障害のある人たちの創造力を活かす
8.障害のある人のネットビジネスやネットを通じた社会活動への参加を推進する
9.障害のある人をAPECの枠組みに参加させる
実際に採択された文書は未だウェブ上に出ていないようですが、概ねこんな感じの勧告になっていると思われます。
以下、中国関連の一般メディアに流れた関連記事です。
http://usa.chinadaily.com.cn/epaper/2014-11/11/content_18898463.htm
各国代表のことが中心の記載ですが、我々WBUだけではなく、国際障害同盟(IDA)やリハビリテーション・インターナショナル(RI)等、大きな国際NGOも参加しています。
次回のAPECはマニラ。
ちゃんと障害分野のサイドイベントが続きますよう。
そして、何より、APECとして行動が実現しますよう。
左目が全盲、右目が強度の弱視だったイタリアのエレナさん。
オランダで手術を受け、視力は回復しましたが、子どもの頃から大好きだったダンスを活かして、ダンスのパートナーのアントニーさんと一緒にプロジェクトを始めました。
その名も、ブラインドリーダンシング
2014年7月には、正式な団体として登録。
きっかけは、大好きなダンスを、視覚障害者に教えたいという思いから。
視覚障害者と晴眼者を分けた種目を避けるために、エレナさんのダンス教室では、健常者もアイマスクを付けます。
これが、写真の様子。
これで、生徒は皆対等にダンスを習います。
教室として、パフォーマンスも。
授業には、かなり芸術的なカリキュラムも含まれているようです。
「ダイヤログ・イン・ザ・ダーク」等の活動と同じように、皆一緒に同じ条件で楽しく活動し、周囲の人たちを大切にし、コミュニケーションに気を配ったりする、良いきっかけとなると、エレナさんは信じています。
ペアを組んだ相手が視覚障害者なのか晴眼者なのか、誰も分からないのです。
相手が上手か下手か、まあこれは、ペアを組めば少し察しが付くかも知れませんが。
このミックスのダンス教室は、エレナさんが視力を回復したオランダで始め、今はスイスからイタリアに展開しています。
イタリアでは既にマスコミに取り上げられ、オランダでもマスコミデビューが近いとか。
団体登録が今年の夏ということで、未だサイトが完成していませんが、ソーシャルメディアは走っています。
Facebookでは、https://www.facebook.com/BlindlyDancig
Twitterでも、blindly_dancing
先日、JICAのリーダー研修で来日している、タイ盲人協会からの研修員、通称Beerさんを、日本盲導犬協会の盲導犬訓練センターにご案内しました。
というのは、この場でも何度かお話したかも知れませんが、タイに、東南アジア諸国連合(ASEAN)で最初の盲導犬訓練センターを設立しようという取組があるからです。
2012年、WBUの総会をバンコクで行った際、プミポン国王の長女、シリントーン王女が列席されました。
王女は、タイの国民にも、その誠実な人柄でとても人気がありますが、視覚障害者の権利擁護にとても熱心で、盲人協会との繋がりも深いそうです。
そして、そのWBU総会の場で、ASEAN最初の盲導犬センター設立に、お墨付きを頂いたとか。
既に、計画は具体的な段階に来ています。
まず、盲導犬がいない今から既に、公共の場で視覚障害者の盲導犬利用を認める義務を、法律で規定しているのだそうです。
「途上国の法律は絵に描いた餅が多い」という意見をよく聞きますが、それでも法律があれば次の1歩に進めますので、無いよりは明らかに法律があった方が良いと思います。
寄付も集め始めています。
タイ盲人協会の資金集めをリードしているタイ盲人財団、そして、キリスト教盲人財団が、既にファンドレイジングを色々考えています。
実は既に、候補地が1つありました。
勿論、地方部に、です。
でも、前年ながら、地域住民の反対で、別の候補地を探すことを余儀なくされました。
まだまだ啓発が必要です。
更に、ラブラドールを育てる「業者」も、かなりリストアップしているようです。
盲導犬協会の方には、ラブラドールと言っても血統が非常に大切なこと、訓練士は短期間では要請できず、また盲導犬の訓練だけではなく、実際に視覚障害者の歩行訓練に繋がらなければならないこと、そして、利用者と盲導犬のペアが社会に受け入れられることの大切さを指摘頂きました。
併せて、既に法的処置が進んでおり、視覚障害当事者が中心となって薦めようとしている点に注目、他の途上国で訓練センターを作ろうとして失敗した事例と比較し、タイでは必要条件を揃えれば上手く行くのではないか、と、励ましも頂きました。
Beerさん、生まれて初めての盲導犬との歩行を体験する機会を頂きました。
流石に緊張していて、階段まで上り下りした時には、左手にハーネスを持ちながら、右手は手すりを探してうろうろ・・・
でも、慣れて来ると、嬉しそうにラブラドールの背中を叩いて褒めていました。
「Come!」と呼んで走って来る盲導犬に、別れを告げる時は、何となく名残惜しそうでした。
色々とハードルがあると思いますが、是非実現させて、タイの視覚障害者がもっともと外出し易いようになって欲しいです。
来年の9月1日~3日、アジア太平洋CBR会議が東京で開催されます。
http://www.apcbr2015.jp/jp/
私たちが関係しています、障害分野NGO連絡会(JANNET)が共催団体になっています。
この会議まで1年を切っています。
もう、すぐそこですよ。
JANNETでは、会議に向けて色々とセミナー的なイベントを開催してきましたが、先般は、CBRと言えばこの人、というくらいの方、マヤ・トーマスさんがおいででした。
名前をよくお見かけするので、ご本人の話を聞くのは本当にワクワクしました。
落ち着いたアルトの声で、経験に裏付けられた信念がありながら上品に穏やかに話す様子は、私のまるで反対。苦笑
マヤさんは、開発プロジェクトのコンサルタントをしたり、障害やCBR関連の公的文書、タトエバ世界保健機関(WHO)の報告書の執筆には、かなりの数、関わっておられます。
講演の主な内容は、CBR活動の社会的インパクトや評価を、インドや他の南アジアを中心に具体的事例や調査研究から集めた情報で整理して頂きました。
ちょっとテクニカルな内容です。
私がここで簡単に書ける内容とも思えないのですが、質疑応答で幾つか印象に残っていることがあります。
こうしたことを考えながら、CBRのプロジェクト評価をするのですね。
・西洋中心に生まれた概念を地域社会に持ち込むこと
国際活動で出てくる概念の多くは、多分、西洋を中心としたコミュニティで生まれたものなのでしょう。
人権しかり、インクルーシブしかり、エンパワーメントしかり。
途上国の、特に地方に行くと、「障害のある人の権利」などと言っただけで、ややこしいことになってしまう場合があるようです。
「自分たちだって大変なのに」という感情でしょうか。
でも、国連障害者の権利条約ですら、健常者に無い権利を求めているわけではありません。
健常者と同じ権利があると言っているだけです。
だから、CBRで農村部に入っても、他の人たちが出来ていることが、障害のある人が出来るようになったか、という形で、インクルーシブになったか否かの評価をし、プロジェクトを考えていくという考え方が出ました。
私が思うに、インクルーシブかどうかはサービス提供側で図ることが出来るけれど、だったらエンパワーメントはどのように定量化するのか?
これを質問しようと思った時、夜遅くて閉会になってしまいました。苦笑
・プロジェクトを評価する意義
どうも、評価と言われると、学校や企業の業績で、成績や優劣を付けたり、苦言を呈したりするプロセスのような印象が否めません。
途上国の農村部でも、結構引いてしまうことがあるようです。
評価は、あくまで、学びの場であり、次へのステップであり、改善の手掛かり探す活動なのですよね。
そうは言っても、「○○という役割が上手く機能しなかった」と言われると、その役割を担った人は、責められたような気になるのも否定できないけれど。
・報告書の開示を
色々なプロジェクトの報告書にはきっと、教訓や次へのアイデアが詰まっている筈ですが、往々にして内部限りの扱いになっています。
確かにものによっては公表し難いものもあるでしょうが、出来る限りオープンにして、教訓やアイデアを共有できれば、同じ作業や下調べをダブってする必要がなくなるかも知れません。
・一般のプロジェクトと障害特化のプロジェクト
障害のある人を対象にしたプロジェクトでも、プロジェクトが終わった後に効果が持続するためには、障害のある人以外も対象を拡大するのが一案とか。
例えば、障害のある子ども対象の活動がとても良いので、地域の子どもたちも一緒に参加するとか。
但し、当初から子どもたち全体を対象にプロジェクトを始めると、障害のある子どもたちがどうしても隅に追いやられてしまう、とマヤさんは力説していました。
先日、インクルーシブ教育のプロジェクトへの助成を申請している方が、インクルーシブ教育では受益者が少なすぎるとドナーから言われた話を聞きました。
何かが違うと直感したのですが、こういうことなんだと分かりました。
最後に、マヤさん、時間の都合で事例の説明を省こうとした時、拡大印刷の大きな紙をめくりながら追いかけている私に気が付きました。
「弱視の方がおられますが、事例をちゃんとお読みした方が宜しいですか?」と。
「ありがとうございます、帰宅してから拡大読書機で読むので大丈夫です」とお答えしました。
実際、夜の研究会だったので、時間が遅くなるのがかなり気になっていたので。
でも、パワーポイントを使いながらプレゼンされる講師の方から、私にピンポイントで、こうした配慮の言葉を聞く機会は、実はそんなにありません。
皆さん、プレゼンに一生懸命ですから、仕方ないのでしょう。
でも、マヤさんが、何時も障害当事者と真正面に向き合って活動していることが、とてもよく分かった瞬間でした。
ろうあ連盟で最近、ネパールとマレーシアの女性聴覚障害者に関する実態調査を行った話を伺いました。
ヒンズー教の文化が色濃いネパールでは、女性が顔を完全に覆い隠す必要がある場合が多くなります。
そうすると、手話で会話をすることができない、見えないですから。
だから、家族も、コミュニケーションが出来ない娘をきちんと育てたり面倒見たり愛情注いだりしなくなる。
やむなく、聴覚障害女性は、シェルターのような所に住まざるを得ない。
まあ、そんなものがあれば、ですが。
マレーシアでは、華僑の人たちは活発に経済・社会活動をしているけれど、マレー系の人たちは、往々にして、女性は家に残って家を守る役割という考え方が根強いです。
他の聴覚障害者と会うのも、家族が良く思わない。
悩みを抱えても、外に出ないから分かち合う相手と出会う機会がありません。
こうして孤立してしまう聴覚障害女性が、宗教や文化に関係なく、悩みを分かち合える場所こそ、聴覚障害者の団体が頑張って作らなければならない、と。
視覚障害者は?
日本で視覚障害者の職業として盛んなマッサージは、体を触れる仕事が風俗のように蔑まれる国では中々難しいです。
施術する人も蔑まれてしまいますよね。
特に、異性に施術するなんて、こうした国ではあり得ません。
東南アジアで、華僑の人たちより、マレー系等のイスラム圏の方が、女性の活躍が少ないというのは、視覚障害者にも当てはまります。
海外で何らかの研修を受ける機会に恵まれた人たちは、それなりに頑張っていますが。
孤立するリスクと言えば、視覚障害者は単独の移動が難しいですから、それこそ他の障害者に会うチャンスは至難の業です。
家庭にいるべきという発想がある地方で、更に目が見えないと家事労働すら出来ないと思われてしまうので、それこそ部屋にこもったきりの生活をする人が未だ結構いるのでしょう。
文化の壁も、海外からの影響は及ぼせても、実際に壁を乗り越えるのはその国の人たちにしかできないですからね。
伝統や文化は大切ですが、それが人権を侵害するものであってはならないと思います。
先日ご案内のように、第9回サイトワールドで、視覚障害者のマッサージと国際協力に関するシンポジウムが開催されました。
http://wbuap.exblog.jp/23118835/
基調講演は、障害のある人の雇用に関する研究を長年キャリアにされているSさん。
シンポジストには、元日本財団のCさん、盲学校の先生で東南アジアの技術支援に何度も脚を運んでおられるMさん、国際視覚障害者援護協会のIさん、そして、ミャンマーからの留学生のコンテさん。
締めは、日本盲人福祉委員会理事長。
私は、この組織を超えた顔ぶれが一堂に会するだけで、既に大いに意義があったと思っています。
内容は・・・
私見ですが、もう少し話をしたり運営したりする我々が、早い段階で内容に関わっていたら、もしかしたらもう少し焦点が絞れたのではないかと思っています。
後、もう少し皆さん来て欲しかった。笑
まあ、私も余り情宣しなかったから、いけないのですが。
ミャンマーでも数十年前からマッサージに参入していた視覚障害者ですが、一時、勉強が出来ない人が行う仕事というイメージが強かったそうです。
でも、実際に視覚障害者が裕福になっていくのを見て、それなりの教育を受けた視覚障害者も関心を寄せるようになった、と。
日本財団としては、保健マッサージや医療マッサージといった定義が、現地だけでなく日本でも何処まで統一されているか、そこから困難になるとの話。
援護協会からは、各国の障害者関連のデータベースの不足を指摘。
いやいや、データは、各国政府だって作れないし、障害当事者サイドでも「またデータ収集?」と嘆きの声が挙がりますので、実はそんなに容易ではないのです・・・
筑波大学視覚特別支援学校でJICAプロジェクトで進めているインドでのマッサージ技術移転の話題も面白かったです。
カーストが厳しいインドでは、カーストによって従事する仕事が決められてしまうことも度々ですが、比較的新しい産業にはカーストの影響が無いのだそうです。
そして、その中に、医療も入っているとか。
なので、マッサージではなく、医療の側面を前面に打ち出しています。
Japanese Medical Manual Therapy、略してJMMTなんて呼んでいます。
考えましたねぇ。
質疑応答の時間の大半を、途上国の視覚障害者の学科教育に関する話に使いました。
日本の理療科教育は、高専レベルですので、理科の中等教育を受けていることが前提になりますが、途上国の視覚障害者で、そこまで理科系の学科教育を受けている人は滅多にいません。
インクルーシブ教育で就学しても、学校の先生に視覚障害者に理科を教えるノウハウなどありませんし、盲学校は余り理科系に熱心でない場合があると聞いたことがあります。
現に、生理学で出てくる化学の概念とか、解剖学で出てくる人間の体の部分と機能とか、彼らには至難の業です。
コンテさんなんて、そうした専門的な内容、日本語では分かるようになったけれぼ、母国語で何と言うか帰国したら勉強しなければならない、と話していました。
医療マッサージに焦点を充てることで打開できる局面があったり専門性と地位を確保できたりすることがある他方、医療マッサージが故に限界に直面することもあるということです。
テドン盲学校は、3校ある北朝鮮の盲学校で一番大きい学校です。
ピョンヤンから車で30分ほどの所にあります。
1クラス5人の生徒が平均で、点字出版所が製作した教科書と、点字器を使って勉強していました。
点字タイプも一部あります。
生徒は10歳から18歳くらいだったとか。
寄宿舎は5人1部屋です。
朝鮮半島の床暖房、オンドルが設置された部屋にマットを敷いて就寝します。
生徒たちの食事の助けにと、校庭で野菜を栽培しています。
テリエさんが出かけて翌日は、北朝鮮の子どもたちの全国組織が出来た記念日で、政府から大きな箱にトマトが3箱届きました。
この辺りは如何にも北朝鮮ですか。
校庭では、生徒たちが、欧米の視覚障害者が行う卓球の一種、ショーダウンを楽しんでいました。
ショーダウンの機材は、ドイツのNGOからの寄贈です。
以下、校長先生とのミーティングで出てきた情報です。
-盲学校は3校ともに1959年に創立。
当初、北東部の師範大学で、点字も含めて視覚障害児の専門家が育成されていました。
けれども、現在ではこの課程はなくなってしまい、盲学校の先生はベテランの先生に点字を教わっている状態です。
-テドン盲学校の教育は、北朝鮮の視覚障害児教育の中では高く評価されています。
-在校生は41人で、年齢は8歳から21歳まで。
何歳でも入学は可能で、逆に、中途視覚障害者で何歳で入学しても、点字を勉強するために1年生から始めます。
晴眼者の時代に教育を全て修了していても、です。
但し、成績が良ければ、点字習得後、飛び級は可能です。
4割は弱視ですが、点字教育を非常に重視しており、点字学習は必修です。
-先生は全部で15名で、そのうち1人が寄宿舎の宿直を担当します。
全員点字の読み書きが出来ますが、視覚障害者の教師はいません。
-視覚障害児の家族が盲学校での教育に熱心ではありません。
理由の一つは、容易に帰宅できないこと。」
公共交通機関が無く、国内の長距離の移動が余り一般的ではありません。
また、移動には特別な許可が必要です。
子どもたちの親が休暇の際には迎えに来ることになります。
北朝鮮では就学は義務ですが、障害児に就いては余り徹底されていないようです。
-歩行訓練や調理実習は始まったばかりですが、生徒はどうも寄宿舎の外での活動には余り興味が無いようです。
音楽の教育にも力を入れたいようで、楽器が不足していると話していたそうです。
-これから日常生活訓練の導入を考えています。
経済制裁で孤立する中にあって、関係者なりの努力を積み重ねているのが分かります。
しかし、やはり経験不足・情報不足は否めません。
何とか国際的なネットワークに参加して、知見を広めていって欲しいと思います。
クワンミョン点字出版所は、ピョンヤンから30分ほどのところにあります。
設立は1962年と言いますから、予想以上に歴史の長い点字出版所です。
主な印刷物は、盲学校で使う教科書と、視覚障害者向けの雑誌。
雑誌は3種類あって、全て視覚障害当事者が編集しています。
視覚障害者の生活に密着した内容が多く、視覚障害者が働く所謂「福祉工場」に取材に行ったりするそうです。
また、一般の定期刊行物も12種類、点訳されています。
現在でも点字印刷は亜鉛版のようなものを使った手動式の印刷です。
スウェーデンのIndex Brailleというところが出しているエンボサーが1台ありましたが、ソフトが古くて使えない状態でした。
そこで、ご近所ノルウェーのテリエさんが、メーカーと橋渡しをしてくれています。
テリエさんの目には、新しい技術の導入に焦点が当たり、技術者やその技術の使い方を重視する必要があると映ったようです。
出版所の職員80名のうち20名は障害のある職員で、そのうち11名が視覚障害者です。
そして、副理事長も視覚障害当事者です。
点字出版所の直面する問題も幾つかあります。
-点字出版物に対する要請が増加の一途を辿る中で、出版サイドも量産体制を強化する必要があります。
なので、新しい点字印刷技術にどうしても期待が高まります。
-点字印刷物の郵送は鉄道によるので時間が掛かります。
車両があれば、少なくとも近隣に住む視覚障害者にはもっと迅速に配達が可能になるでしょう。
車両があれば、取材の効率も上がります
-点字用紙の質も問題です。
低品質の点字用紙なので、本が長持ちしません。
テリエさんが出かけてくれたお陰で、北朝鮮の点字出版の様子が初めて少しでも把握できました。