ウクライナへの大掛かりな軍事侵攻が始まって丸一年を経過しました。
戦時下なのと、言葉のハードルとで断片的な情報しか把握できないのですが、戦争が直接的な原因で視覚障害者になった人は少なくとも150名程は確認できているそうです。
海外メディアでは、前線で失明し失意で自死を考えた元兵士が出たことがありました。
世界盲人連合んの欧州ブロック、欧州盲人連合では、域内で資金を集め、爆撃や砲撃で破損した、いわゆるバリアフリーの施設の修復に取り組んでいます。
失明した人の心のケアも。
ウクライナの盲人協会UTOSは、戦時下でも色々活動しています。
一部内容を聴く機会があったのでご紹介します。
・緊急支援
国内外の組織からの救援物資を会員にさまざまな形で配布しています。
食糧や衛生用品、薬、学生のいる家庭には文房具など。
食事のクーポンも配布。
・避難支援
避難を希望する人に交通手段などの情報提供をしています。
ドニプロやクラマトルスクに避難所を用意し、ドニプロには90名くらい入所しています。
クラマトルスクは前線に近いのでちょっと心配です・・・
避難先では、避難民登録のサポートや、ATMに同行したり、商店の場所を教えたりする支援を実施。
避難所以外でも、例えばUTOS会員同士で避難民を自宅で受け入れている例も結構あるようです。
・情報提供
戦争が始まった後、Homerの名称でインターネットラジをを開設しました。
視覚障害者関連情報だけではなく、最近日本でも耳にするようになったUポップ?を沢山かけたり、秋にはワールドカップサッカーカタール大会の放送もしていました。
・日常生活を大切に
戦時下でも録音図書は数百単位で制作しています。
リヴィウで点字書き取りコンテストが開催され、書き取る小説を朗読したのも当事者の先生でした。
民族衣装ヴィシュバンカの日にはファッションコンテストを開催、皆さんが久しぶりに会う良い機会となりました。
また、旧ソ連でドラフツというボードゲームが盛んで、UTOSでも大会を開催したそうですが、今から練習したら平和になった後にウクライナの皆さんと対戦できるかも??
国連障害者権利委員会による「総括所見」に関する入門講座 (理解を深めるためのファーストステップ)
WBUAP支援ネットワーク・都盲協青年部共催企画
日本政府が「障害者の権利に関する条約」(障害者権利条約)の締約国として国連障害者権利委員会に提出した報告書に対する審査が、昨年8月22・23の両日、スイスのジュネーブにて行われ、9月9日には日本政府に対する「総括所見」が発表されました。この「総括所見」には、障害者権利委員会の日本の実情に対する懸念事項と、改善を求める勧告事項が示されています。
今後は、「総括所見」で示された懸念や勧告に対し、日本政府がどのように応えていくかが問われることになるでしょう。私たち障害当事者としては、この「総括所見
」について理解を深め、当事者団体等の活動を通じて、この「総括所見」をどう活かすかが重要となるでしょう。
今回は、昨夏の審査とそれに先立つプライベートブリーフィング(障害者権利委員会による障害者団体への聞き取り)にも参加された田中伸明、大胡田誠両弁護士に、ジュネーブでの審査の様子や、「総括所見」の意義等についてお話しいただきます。加えて、世界盲人連合アジア太平洋地域協議会(WBUAP)の前会長の田畑美智子さんに、視覚障害者の国際協力をリードしてきた立場から、WBUAPの活動と障害者権利条
約が関わる部分等について情報提供いただく予定です。
今回の勉強会が、私たちそれぞれが「総括所見」について理解を深め、さらに関心を持ち、情報収集していくためのきっかけとなれば幸いです。
以下が概要となります。
開催日時:令和5年2月18日(土 13:30~15:00
会場:東京都盲人福祉協会2F研修室
東京都新宿区高田馬場1-9-23
電話03-3208-9001
※web会議システム(Zoom)を利用した配信も予定しています。
講師・話題提供者
田中 伸明(名城法律事務所豊田事務所 弁護士)
大胡田 誠(おおごだ法律事務所 弁護士)
田畑 美智子(世界盲人連合アジア太平洋地域協議会 前会長)
なお、現地では、マスクの着用をお願いいたします。入場時には、手指の消毒へのご協力をお願いいたします。
ご参加いただける方は、①氏名、②所属、③メールアドレス、④現地での参加希望かオンラインでの視聴希望か、⑤講師に予め質問したいこと(もしあれば)を、2月15日(水)までに下記までご連絡ください。
伊藤 丈人(都盲協青年部会)
なお、オンライン参加の方には、後日アクセスURLを送信いたします。
現地でご参加される方には、参加に当たっての注意事項を後日送信いたします。
ポーランドの盲人協会には、ウクライナから避難してきた視覚障害者がサポートを必要な時に電話できるホットラインが開設されています。
応対可能な時間は月曜日から金曜日の朝8時から午後2時まで。
盲人協会の職員が対応してします。
主な支援内容は
・滞在先を探してくれる団体の連絡先
・特別支援学校で学ぶことができるか等の教育や児童に関する相談先
・ワルシャワにある中央リハビリ医療医院での相談の模索
・その他関係各種団体の連絡先や連携
首都ワルシャワと、オルシュティンという日本の県庁所在地のような場所に、盲人協会の眼科クリニックがあるのですが、この2箇所でもウクライナから避難してきた視覚障害者の相談に乗っています。
オルシュティンのクリニックにはロシア語を話す医師も配置されています。
盲人協会は全国に宿泊できるセンターを4箇所持っていますが、全てのセンターで避難民を受け入れています。
満室まで受け入れ継続の意向だそうです。
3月には緊急支援物資の寄付を募りました。
しょくりょうひんや衛生用品、衣類や靴など。
早速、すでにリヴィウの盲学校に送られています。
ポーランド国内にいるウクライナの視覚障害者向けには、イギリスの王立盲人協会から、白杖や音声時計の寄贈が予定されています。
国内各地の特別支援教育センターでも、視覚障害児の教育相談を実施しています。
ゼレンスキーウクライナ大統領がにほんの国会に向けて演説されていましたが、その中でいきなり、にほんの民話をウクライナ語に翻訳し、ファーストレディーが視覚障害児向けに録音図書を制作された話が出てきたのには、正直びっくりしました。
大統領夫妻が来日したのは2019年ですが、同じ2019年の12月には、来日したこともある米国の音声解説専門家がウクライナをほうもんし、1週間にわたりワークショップを開催しています。
ウクライナでも映画などの解説放送への機運が高まっていたとのこと。
色々な意味で大統領の影響があったのかも知れません。
そんな中での今回の戦火・・・
Tactile Vision Graphicsという点字などを制作する会社で、ウクライナの触地図を作成しました。
ウクライナの視覚障害者支援に、売上は原価含め全て寄付すると発表。
にほんでも利用がある誘導システムのブラインド・スクエア。
今回の戦争の前から経済状態が厳しかったウクライナですが、このアプリ利用が経済的に厳しい視覚障害者が多いとの声を受け、開発者が3ヶ月ほど無償でウクライナ人の利用を許容すると決定。
インターネットが衛星から利用できているようなので、誘導システムが利用できるのは大きいでしょう。
日本時間で4月17日、世界盲人連合のウクライナ支援基金への寄付集めに、おんらいんでのヴァーチャルチャリティコンサートが開催されました。
出演者は一部を除き全員視覚障害者。
111組が演奏を披露し、全部で11時間を超える長丁場となりました。
クラシックのギターやピアノ、合唱、ビートルズのアカペラ、ジャズにカントリー、ポップスにラテンなど様々。
クラシック以外だと過半数がオリジナルでした。
詩の朗読もありました。
時間内で集まった寄付は85000ドルを超える金額となりました。
ストリーミング放送をしたのも少なくとも20数局あったようです。
オンデマンドで全て聞くことができますし、うまくすればアルバムを制作するかも知れません。
ポーランドにあるRERE Foundationという団体では、障害のあるウクライナ避難民をすでに1000人ほど支援してきました。
ポーランドとウクライナの国境付近から、バスでかなり東部まで、避難しようとしている障害のある人を迎えに行った関係者もいるそうです。
現地の細かいルールは不明ですが、どうやら子どもに障害があると父親も出国できている場合があるようです。
ピックアップ後は、滞在先を探すことから、大仕事が始まります。
せっかく家族揃ってポーランドに避難しても、ポーランドの法律で、学校の寄宿舎には成人は滞在できないそうで、支援者が学校の近くに両親の滞在先を別に探す必要があります。
ウクライナ国内では視覚障害者がデスクトップを活用している場合が多く、避難時に持ち出せませんのでいきなり情報入手手段をすっかり失ってしまいます。
ドイツの盲人協会でも、積極的に避難民を受け入れています。
バス3台を利用し、2台は避難民が多いポーランドで、1台はウクライナまで出掛けて視覚障害者をピックアップ。
ポーランド語はウクライナ語と共通点が多いようですが、ドイツ語となるとかなり異なる言語で、英語を話す避難民はごくわずかなため、到着時からこみゅにけーしょんに障壁が生じます。
昨今のいct技術のおかげで一応、翻訳アプリがあることはありますが、最低限のやりとりしかできていないと、盲人協会の方が悩んでおられました。
まずはべるりんに入り、その後ドイツ国内での滞在先を探します。
言葉がわからないので、ひなんみんとしては、とにかく盲人協会の人を信頼して委ねるしかありません。
そのせいか、行き先が決まっても皆さん、往々にして無表情だ、と、心配しておられました。
国を離れるしかなく、視覚に障害があり、言葉が通じない状況では、やはり厳しい状況でしょう・・・
1日も早く平和な祖国に戻ることができるよう祈るしかありません。